drink like a fish!





ゼラムの高級住宅街のとある屋敷。
そこは時折怪しい音やら衝撃やらの震源地になるものの、それ以外のことを除けばすこぶる平和だ。
日当たりのいいその屋敷の一室ではここの住人の一人であるマグナが昼食後ののんびりとした一時を過ごしていた。


「お前、ほんとに酒好きだなぁ」


やや呆れたように、マグナは嬉しそうに手の内の酒瓶を眺めている自分の護衛獣に語りかけた。
彼の護衛獣である悪魔、バルレルは無類の酒好きである。
暇と隙さえあれば、常に酒を手に入れる画策をしている程だ。

悪魔って皆こんなものなんだろうか……

その異常な執着っぷりに、マグナはこれも彼の本能なのではないかと少し本気で考える。


「んだよ、文句でもあんのかァ?」
「いや、俺はないけどさ。アメルは黙ってないと思うぜ?」
「うっ、テメエ、縁起でもねェこと言うんじゃねェ!」


アメル、と言う名前に普段は勝気なバルレルも思わず身を竦めた。
常に穏やかな微笑を湛えた少女は、豊穣の天使の名の通りに、深い慈愛を持って人に接する。
悪魔のバルレルに対しても、それは変わらない。
バルレルもアメルのことは認めているようであるし、何だかんだで仲はいいようだ。
が、そこに酒が絡むと話は別である。
バルレルが必死に酒を手に入れてきても、最後にはアメルの手によって没収されてしまう。
どんなに巧妙な手を使っても、実にあっさりと見つかってしまうのだった。


「毎回毎回、どうやって見つけてるんだろうなぁ。すごいよなぁ〜アメル」
「妙な感心してんじゃねェよ!話題に出して、マジに出てきやがったらどうする!!」


……噂したら来るのって、確か悪魔の方じゃなかったっけ?
と、マグナは心中でこっそりと古いことわざを思い出した。


「大体、オレは悪くねェだろうが!!酒ぐらい自由に飲ませろってんだッ」
「でもさぁ、やっぱり子どものバルレルが嬉しそうに酒瓶抱えてるのはおかしいよ」
「オレはガキじゃねェ!!今更何言ってやがるッ」
「見た目の問題だろ?」
「……ケッ!でかくなったらなったで、メガネがうるせェじゃねェかよ」
「……ははは」


理由は推して知るべし。


「じゃあ、大人しく夜になるまで我慢すればいいんじゃないか?」
「テメエ、それまでコイツがオレの手元にあると思うか……?」
「……」


魔王ともあろうものが、何とも情けない話と言うか……
さすがにマグナも可哀想になってきて、最近は目の前でバルレルが飲酒をしようとしても止めなくなっていた。


「ともかく!オレは飲むからな!余計なことすんじゃねェぞ」
「どうぞご自由に〜」


まったく、ほんとに嬉しそうだなぁ……

さっそく瓶を開封しにかかるバルレルは、鼻歌でも歌いだすんじゃないかというくらい機嫌が良さそうだ。
ポンッと小気味良い音を立てて栓が抜かれた。
風が通り抜ける部屋が、一瞬でアルコールの香りで満たされる。
よほど強い酒なのか、なかなかその香りは強烈だった。

あぁ、これはしばらく匂いがとれないだろうな……

きつく酒の香りを漂わせるバルレルを、はたしてアメルが何も言わずに見逃してくれるだろうか。
だが、そう思いこそすれ、口にすることはない。
機嫌のいい相手を憶測でわざわざ不機嫌にする必要もないからだ。
なにより、この護衛獣が不機嫌になれば、その被害は間違いなくマグナ自身が被ることになる。
自ら危険に飛び込むほど物好きでもなかった。


「か〜ッ、ウメエ!!」


そんなマグナの心のうちを知ってか知らずか、バルレルは瓶に直接口をつけ勢いよく酒を呷った。


「はいはい、それはよかった」
「んだよ?その呆れたような態度はよォ」
「いや、別に?よくそんなに夢中になれるよなーってさ」
「ケッ、お子様にはわかんねェだろうよ!この旨さは」


そんな憎まれ口を返しながらも、バルレルはぐいぐいと瓶を傾ける。
子供の身体のほうが酔いやすいのかすでに頬が赤い。


「別に、俺も飲めなくはないんだぜ?飲みすぎるとネスに怒られるし、そんなに好きじゃないだけでさ」
「あァ?メガネが怖いから飲みませんーってかァ?」
「うーん、というか昔迷惑掛けちゃったし、あまりいい思い出じゃないんだよ。まぁ、前後不覚になるまで飲むと危険なことはたしかだ」
「酔うのが怖くて酒が飲めるかよ」
「お前はちょっと気にした方がいいって!」


バルレルは毎回毎回、それこそ可能な限り酒を飲み続ける。
泥酔した護衛獣の面倒をみなくてはならないのは、主人であるマグナだ。
乱暴で自由気ままなこの悪魔は、酔えばその箍が外れてますます性質が悪い。
慣れはするが、だからといってまるまる許容できるわけでは到底なかった。


「大体お前が酔いつぶれるのに、保護者の俺まで酔いつぶれるわけにはいかな……っ」
「だーれが、だれの保護者だってェ?」


思わず出た本音を言い切る前に、マグナの視界は反転した。
咄嗟に事態が把握できず、ただ瞬きを繰り返すことしか出来ない。


「ちょっ、バルレル……!?」
「さんざん厄介事起こしやがるのはテメエの方じゃねェか」


ふざけんな、などと呟きながら、手馴れた様子で主人の身体をひっくり返した護衛獣は不満そうな顔をしてみせた。
マグナの腹の上に馬乗りになったまま、さらに酒を飲み続ける。


「重いんだけど……」


マグナの当然の主張を無視して、バルレルはいよいよ瓶を空にしようとしていた。
喉に物を流し込んでいる最中の者を力ずくで退かすわけにもいかず、マグナはその豪快な飲みっぷりをただただ呆然と眺める。
バルレルは瓶から口を離してぷはーっと大きく息を吐くと、最後に口を開けて瓶を逆さに振った。
滴がポタポタとその口に落ちると、瓶は完全に空になった。


「うわぁ……」


マグナは思わず渋い顔をする。
飲んでおけるときに飲んでおきたいんだかなんだか知らないが、いくらなんでも酒瓶まるまる一本空けるにはハイペース過ぎるだろう。
しかも子どもの姿のまま飲んだのだ。
これは間違いなく……


「さァて……」
「……なっ、ちょ、待てっ!!」


マグナの抵抗空しく、バルレルはあっという間にもとの姿に戻っていた。
そしてそのまま覆いかぶさろうとする。
その肩を、マグナは全力で押し返した。


「くっ……!今は昼間だろ、見つかったらどうするんだよっ!!」
「うるせェ黙れ。口の減らねェガキにはしっかり身の程わきまえてもらわねェとな」
「さっきは人目に付く時にでかくなると厄介だとか言ってただろ!?ネスに見つかりでもしたら……!」
「……あと一回でもメガネの名前言いやがったら容赦しねェからな」


まるで話にならない。
やはり間違いなく……


「バルレル、酔ってるだろ!?」
「はァ?まったく酔ってねェよ」


嘘だ、絶対嘘だ。

マグナがそんな思いを込めて睨んでみても埒が明かない。
酔いつぶれるほどの量の酒でなかったことが災いしたか。
可哀想だと同情してついつい酒を飲ませてしまったこと自体が間違いだったか。
ここまでくればもう後の祭りだ。

次からは絶対に甘やかさないからな!!

叫ぼうとした言葉は喉から出る前に酒臭い口付けで封じられて短い喘ぎにしかならなかった。