burst  forth





「バルレルが帰ってこないんだ」


そう言ったのは、一応バルレルの召喚主であるマグナだった。
‘一応’というのは、召喚主が召喚獣(それも彼の場合は護衛獣)の所在を把握していないという事態があまりよくあることとは言えないからである。
しかしマグナはあまり召喚師らしくない人間で、バルレルの方もまったく護衛獣らしくない悪魔だったので彼らにとってこんなことは日常茶飯事だった。
だからマグナの訴えを聞いた彼の兄弟子であるネスティも
「またか」
と半ば呆れたような、しかもそっけない返答をするにとどまったのだった。
「うぅ、それだけ?」
「それだけも何もいつものことだろう?いったい他にどうしてくれと言うんだ」

もっともである。
しかしマグナがわざわざ訴えたのにも彼なりの理由があった。

「だってさ、いつもはフラッといなくなっても1、2時間すれば戻ってきてるのに今日は朝からずーっといないんだ」
もうすぐ日も暮れるのに……と少しくたびれた風の声はぼやいた。

「それで?少しは探したのか」
「うん、買い物のときとか、暇なときとかにめぼしい所は」
影も形もなーし!と吐き出しながらマグナはネスティの隣の席へと腰掛けた。
「それではますます他にどうしようもないな。課題でもしながら大人しく待っていろ」
ほら、とネスティはどこに持っていたのやらマグナの前に本を積み上げた。
「えぇ〜!これなら、もう一回探しに行ったほうがマシだよ!」
「だめだ」
「なんでっ!?」
「暗くなってから君一人出かけてみろ。いなくなるやつが一人増えるだけだ」
「なぁっ!?」
「まったく、彼がふらふらいなくなるのはいつものことだろう?心配しなくてもそのうち帰って来るさ」

たしなめる様にネスティに言われてマグナも押し黙る。

「そろそろ夕飯の時間だからな。腹が減れば自然に帰ってくるだろう」
「え、いや猫とかじゃないんだからさ……」
本気気味の口調で兄弟子に告げられた言葉に脱力しかけたマグナにさらに追い討ちをかける少女の声がかぶさる。
「お酒でも、目立つところに出しておきます?ひっかかるかもしれませんよ?」
「あ、アメルまでぇ……」
「あっはっはっは」
情けない声を出すマグナを後ろから豪快に笑い飛ばしたのは、ついさっき帰ってきたらしいフォルテだった。
「なぁに、お前さんがそんなに気をもまねぇでも大丈夫だってこった!アイツ見た目はあんなでも一応オトナらしいしな!」
なっ、と念を押すようにフォルテはマグナの頭を豪快に叩いた。
「う、うん。そうだよな。……ただちょっと、何かやばい事でもしでかしてなきゃいいなって心配だったんだけど」

一瞬だけ沈黙したその場は、ネスティの
「その時は監督不行き届きで君の責任だ」
というセリフで締めくくられた。





それからマグナはネスティにどやされながらなにやら小難しい召喚式を覚え、
弱りきったところを絶妙なタイミングでアメルに声をかけられて、いつもどおりの温かな夕食をとった。
珍しく戦いのない日の、平和で心地いい時間を過ごした。
だが、もうそろそろ明日にそなえて寝ましょうか、という時間になってもバルレルが帰ってくることはなかった。


「はぁ」
一人きりの自室でマグナは思わずため息をついた。
これで明日の朝起きても帰ってきてなかったら、丸一日いなかったことになるじゃないか……と心中でぼやきつつ、マグナはベットの上で寝返りをうった。
一日歩き回った身体は疲労しているし、数時間前までネスティにしごかれていた頭はすっかり疲れきっている。
ようするにすごく眠かった。
とろとろとまどろみながら、それでもマグナは思考を続けた。
(うぅ……目が覚めてもいなかったらどうしよう……いや、起きたらいたっていうほうがビックリする……かも)
寝ぼけた思考でまともなことが出てくるはずもなく。
ただそれでも考えずにはおれないくらいには漠然と不安だった。
小憎たらしいと思っているヤツでも、慣れた気配がないと落ち着かないもので。
(ホントにどうしたんだろなアイツ……腹空かしてたんじゃないのかなぁ)
子どもではないから道に迷ったわけでもないだろうし、誘拐される事もないだろうし、危険を察知すれば即逃げるだろうし、勝てないケンカはしない主義だし。
だったらなぜ帰ってこないのか。
(……家出とか?)
出て行ったところで行き場がない。
召喚獣であるバルレルが一人で元の世界に還れるはずもないし、自らはぐれになる道を選ぶようなやつでもない。
とすれば、今回のコレは本当にただの気まぐれの結果ということになる。
(まったく、行き先くらい言えよな)
帰ってきたら思いっきり怒ってやらなくてはならない。
居たら居たでケンカばかりで疲れる相手だが、居ないとなんだか余計に疲れてしまった気がする。
たぶん、普段使わない気を遣ったせいだろうと思う。
部屋に入ってベッドに飛び込んだ、上掛けもないそのままの姿勢で、くだらないことをつらつら考えているうちにいつのまにかマグナは寝入ってしまっていた。




数時間後、バルレルはようやく帰宅した。
わざわざ玄関に回る必要もなく、羽を使って窓から直接部屋へと入る。
この屋敷も自分にとっては仮の寝床でしかないわけであるが、それでも‘帰ってきた’という気分になることがバルレルにも少し不思議で。
自嘲的な笑みを浮かべながら伸びをする姿はどこか大人びていた。


気が抜けたところで部屋を見渡す。
部屋の様子はどこが変わるわけでもなく、そこではいつもと変わらず召還主であるマグナがのんきな寝息をたてていた。
ただ、その姿勢が眠るにしては少し不自然だった。
ベッドにまともに乗っているのは上半身だけ、しかも何も掛けている物がなかった。
「バカが風邪ひいてもしらねェぞ」
思いがけず眠ってしまったような、そんな様子で。
珍しい。
このノーテンキな人間が考え事でもしていたというのだろうか。
まさか、一応心配なんてものをされていたのだろうか、と思う。
まさかと思いつつ、このお人好しのニンゲンなら、とも思う。
心配などされるようなガラでもないし、そんな可愛げのある年齢でもない。

居心地の悪いようなくすぐったさ。
どこかムズムズするようなその感情は慣れないものでバルレルの手に余る。
「ったく……このバカ」
ヤケになったように一人ごちながら、バルレルは片手でなんとか己の召喚主の体を浮かせ、上掛けを抜き取った。
一先ずそれをよけると、今度は両手をマグナの脇の下に差し込み引きずって移動させようとする。
この姿ではそれが精一杯で、どこからどう見ても自分の姿はマヌケだろうとバルレルはまた少し不機嫌になった。

こんな子どもの姿で、こんな子どもの世話に手を焼くはめになるとは…… 誰が予想できただろうか。
護衛獣として召喚された今も戦いのなかにいるわけではあるが、故郷にいる頃とは明らかになにかが違う。
自分が悪魔で、狂嵐の魔公子なんて2つ名があって、今はおもしろくもない従属させられる立場で……。
そんな当たり前のことでさえ忘れそうになる。
いや、忘れさせられそうになるのだマグナの傍にいると。


なんとかその体をベッドのうえに引き上げ一息つく。
これだけされても起きる気配がないのがいっそすごい。
健やかな寝息をたてるその横に腰掛けた。
「ホンットにのんきなヤツだなテメエ……」
この気配の隣で殺伐としろというのはなかなか難しい。
毒気を抜かれるというか、下手すればこの気自体が毒の様なものなのかもしれない。

「大体な、オレは召喚獣なんだぞ?」
引きずられて窮屈な格好になっていた身体を少々乱暴に引っ張って直してやる。
「足りねェ頭使ってよけいなこと考えねェでも、いっそ召喚して呼び出せばすむことだろうがよ」
召喚師ならそれが可能だ。
召喚獣の都合に関わらず、どこにいようが何をしていようが好きな時に呼び出せる。
だがコイツはそんな簡単な事も忘れているらしいと、バルレルは心底呆れた。
「バカだな」
本当に、なんて愚かしい人間だろうかと思う。
だがそれがイヤではない。
おかしい。
こんな馬鹿馬鹿しい事で、自分がこんな気分になっていることが。

どんなヤツなんだろうと思った。
自分を召喚し、ここまで強烈な誓約をしてみせた召喚師。
だがマグナはあまり召喚師らしい人間とは言えず、とにかく変わっていた。
自分が抱いていた人間に対するイメージというものがことごとく覆される。
それだけでなく、悪魔としてのこちらの存在まで揺らがそうとする。
大悪魔が、子どもが寝る世話をしてやるなど、どんな馬鹿げた話だというのだろう。
忌々しいを通り越して、最近ではもういっそ愉快だった


「……オレも寝るとするか」
脇へよけていた上掛けを掴み、腰掛けていたベッドから降りようとする。
と、そこでバルレルはある違和感に気づいた。
身体のある一点がおかしい。
暗がりの中でよく見ると、自身の尻尾が寝返りをうったマグナの身体の下敷きにされていた。
仕方なく、その身体をもう一度浮かそうと手を伸ばす。
しかし。
「ゲッ!?」
伸ばしたその手を、なぜかがっしりと掴まれてしまった。
寝ぼけている人間というのはなぜか馬鹿力な上に、マグナの寝汚さは半端でない。
「ふざけんなッ赤ん坊かテメエはァアアア!」
文句を言ってみたところで聞こえているはずもなく。
だからといって殴って起こすというのもあんまりではある。
バルレルは進退窮まった。
大人しく解放されるのを待つしかないのか。
抱き込まれた腕を所在無さげに動かすと、なぜかますます抱き込まれる。
すると、穏やかに眠っていたマグナの顔が少しゆがんで。
かすかに
――バルレル
と、その名を。
呼ばれた気がした。

一瞬惚けた後、バルレルはなぜかかなり落ち着かない気分に苛まれた。
一刻も早くこの状況から逃げ出したい。
だが逃げ道がない。
ただ一つをのぞいて。


「テメエ覚えてろよ」
バルレルは、観念した、とばかりにベッドの端に身体を預けると、自分とマグナに上掛けを被せた。
とにかく今は寝てしまうに限る。
後の事は起きてから考えればいい。
そうしてバルレルは無事夢の世界へと逃避したのだった。




翌朝、思いがけず視界に飛び込んできたバルレルにマグナが死ぬほど驚いたり、
「一応護衛獣なんだから勝手にどこかへ行くな」と珍しく説教をしてみた末にケンカになったりと、朝から大騒ぎになるのだがそれはまた別の話である。


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マグナとバルレルのまったくもってよくわからない関係性が大好きです。
まだ続けられそうな気もしますねーこの話。
マグナが奇声をあげるところからはじまることになりますけど(笑)