option and reception








何かを選ぶのがこわかった。
何かを失うのがこわかった。
何かを選んで、何かを失うのがこわかった。
失うのがわかっていて選ぶことなんてできなかった。
今は、まだ。



何もなかった自分が手にした幸せ。
あたたかな居場所。
気のおけないやりとり。
笑顔の絶えない心地よい関係性が。
無くしたくなくて、変わってほしくなくて。

ただただ大切な人。
たったひとりの人。

どうして大切な人はひとりなんだろう。
どうして選ばなきゃいけないんだ?
その選択がどんなにわがままで、残酷なものでも。
望んでしまえば、求めてしまえば。
欲が勝てば。
人はどこまでも身勝手に冷酷に、その決断をくだすんだろう。
選ばずにはいられないだろう、その人の傍らに在ることを。
そうすれば変わるんだろう。
俺は大切なただ一人のためならきっとなんでもする。
幸せのために何でもする。
他の不幸を生み出すことも厭わない。
それで大切な人を守れるんなら。
そうしなきゃ、きっと俺が幸せじゃないから。
俺の心が守れなくなるから。
そうしなきゃ俺が俺じゃいられなくなるだろうから。
誰かを選んで変わってしまった俺はその人の幸せしか考えないひどいやつになるんだ。
今だって大切な人たちのために勝手なことばかりしているけど。
たったひとりを選んだら、きっとその大切な人たちも。
選ばなかった人たちとして俺の目には誰も彼も同じようにうつるだろうから。


傷つけたくない、壊したくない、今のままでいたい。
全部ただのわがまま。
子どもみたいなエゴ。
それでも思う。
そして恐れる。
選んだときに何かを壊してしまうこと。
言い訳かもしれない。
だけど恐いんだ心の底から。
魂がきしむように苦しくなる。


そうしてそんな夜はぼんやりとした暗い夢をみる。
俺が自分を守るための選択で失った大切な人たち。
壊れる音、呪いの声。
結局はなにもかも零れ落ちてしまう、そんな悪夢。
どうか正夢になりませんように。
それだけが願い。


本当に恐いんだ。
夢の後に付き纏う生々しい喪失感を忘れることができない。
なのに。
希望を捨てきれない。
こんな俺でも。
誰かいつか。

今はまだ俺が弱いからかもしれない。
まだ俺が子どもだから、こんな思いにとりつかれるのかもしれない。
きっともうじき、俺にも選べるようになるのかもしれない。
それまで耐えよう。
ありとあらゆるものを。





そんな事をつらつら考える日々に小さな変化が訪れた。
傍らにいた変な悪魔が気紛れを起こした。
いきなり伸ばされた手。
そのまま捕まれた腕を。
俺はただぼうっと眺めていた。
だってあまりに急すぎたから。
現実味がなさすぎてとるべき行動なんてわからなかった。
それでも振り払おうとか、逃げ出そうとかそんなことは考えなかった。
引き寄せられるままに近寄った。









半分眠ったような状態でどこか遠くにいってしまっていた意識を引き戻すためゆっくりと目を開ける。
真っ暗な天井が見えた。
まだ真夜中のようだ。
目が慣れてくると差し込んでくる月明かりでそれなりに物が見える。
ぱちぱちと瞬く。
少しは意識が冴えてきただろうか。
と、そこでようやく傍らの気配に目が向いた。
なんだか馴染んでしまっていて気付かなかった。
そういえばやたらと寝床が温かい。
悪魔が横で寝息を立てている。
面倒だからと事後そのまま寝てしまったんだったか。
まぁ、誰にも見つからないと思うし大丈夫だろう。



ふいに掴まれた腕が痛みを感じていても、それでもその温もりを振り払うことだけはできなかった。
腕ばかりに注いでいた視線を上げて目の前の赤い目を覗き込んでみても何もわからなくて。
どうしようもなくなってその名前を呼ぶよりも、コイツが俺の口をふさいでしまう方が一足早かった。
後になって思えば、俺の迷いがコイツには丸分かりだったのだろうと思う。
そのスキに付け込まれてちょうどいい暇つぶしの玩具がわりにされたのかもしれないし、たんにうだうだしている俺が鬱陶しかったのかもしれない。
なんにしてもあの腕を振り払わなかったのは俺の弱さのせいだ。
どうしようもない寂しさに打ち拉がれる時も、逃げようがない悪夢に捕われる時も自分で選んだくせに一人でいるのはどうしようもなく辛かった。
だからコイツの手に逆らえなかった。
まやかしの温かさでもないよりはずっとよかったから、拒まなかった。
それにコイツ悪魔だし。
人間とは生きる時間も価値観も違う。
何よりコイツは自由が好きだから最初から俺なんかじゃ到底掴まえておくことなんてできやしないわけだし。
そんなコイツが俺に執着するなんてことももちろんありえないわけで。
だから俺は何の罪悪感もなしにコイツの悪ふざけに乗っかれた。
相手への気負いなしに自分の狡さと弱さだけ責めていられた。
それまでと変わらないけど、一人じゃないだけ幾分ましだ。
いつまでもこんな風でいいわけないけど、それでももうちょっとだけと思ってしまう気持ちは。
朝、布団からどうしても出がたい時の感じに似てる。
いつまでも弱いままじゃだめだけど。
自分でちゃんと早起きできるようになる頃には俺も大人になっているかもしれないし。



それよりコイツが飽きる方が早いかもなとふと思い、なんだかおかしくなって、目の前で眠る食えない顔を見つめた。
手を伸ばしてそっとその額の目に触れる。
そのまま手を滑らせていくと固い角に触れられる。
人間とは違うもの。
でも同じように温かい。
一応感謝とかしてみるべきなんだろうかな。
誓約などとっくに解いている。
それでも傍にいてくれる。
あちらにはなんでもない、ほんの少しの間のことだとしても自分にはじゅうぶん有り難いことだ。
何とは無しに布団から出ている今は自分より少し大きな手に触れた。








もともとあまり深く眠ってはいなかった。
せっかくの満月の夜。
ただ眠ってしまうのはあまりにもったいない。
部屋に差し込むその光を浴びようと、ベッドから身を起こす。
その挙動に横で眠るニンゲンが文句を言うように呻いた。
オレが身を起こした事で出来た隙間から入る冷気が嫌なのだろう。
まったく手のかかる。
風邪でもひかれれば面倒、仕方ない布団をかけなおしてやろうと手を動かそうとして。
動かし損ねたその手にニンゲンの手が軽く乗っかっている事に気づいた。
まさか偶然でこうなるわけがない。
このニンゲンが自らこうしたのだ。
その事実に、少しばかり上機嫌になった口元がニヤリと上がる。
いつもこちらから触れるばかりで。
このニンゲンからコチラに触れてくる事などなかった。
例えそれがどんなにちっぽけでも。
少しはこのニンゲンがこちらに傾いた。
これはたしかな進歩。
まったく自分も気が長くなったもんだと思う。
こんなに面倒くさい。
それでもそうしなくては多分このニンゲンは手に入らない。
コイツを縛る因縁は随分根が深い。
無理矢理断ち切れば、多分コイツの魂もタダじゃすまない。
だから少しずつ、コイツ自身に断ち切らせてやる。
そのためなら。
コイツの弱さでも甘えでもなんでも利用してやる。
悪魔に隙を見せてただで済むと思っているんだろうか。
まぁ、思っているからこんなにも無防備なんだろうが。
自分が傍に置いているものがなんなのか少しは考えて見るべきではないかと思う。
オマエが触れているその手は、その気になれば今この瞬間にニンゲンの一人くらい軽く消してしまうのに。
ハッタリなんかじゃなく実際にオレはそうして生きてきた。
これでも暴力と争乱を司る大悪魔だ。
……一応な、なんて自分で付け加えたくなるような気分になるくらいに情けない現状ではあるが。
まったく、何が何でも捕まえてやらなけりゃ割りに合わない。
手に入れた暁には容赦しない、せいぜい覚えてやがれ。
そんな危機に露ほども感づいちゃいないだろう呑気な寝顔を見る。
これだけズタズタに傷つけられた魂で、なんでこうも能天気に生きられるんだか。
普段こうしている分にはあの深い闇など嘘のようだ。





しかしそれでもたしかに深い闇はコイツの魂に根を張っている。
大人しく寝ていたニンゲンが再び呻きだす。
徐々にその声が大きくなる。
眉根にしわが寄る、額に脂汗が浮く。
ギリッと歯が軋み、身体全体が大きくびくついた。
乗せられていた手が自分自身を抱きしめようとオレから離れそうになった。
そうはさせるかとその手を掴み、引き戻す。
そしてそのまま暴れる身体を押さえつける。
くだらない悪夢になんて邪魔されてたまるか。

「マグナ」

口付ける。
その身体に手を這わす。
その内起き出すだろう。
侵食は漸次的に、しかし確実に。






なぁ。
例え逃げだろうがなんだろうが。
テメエがオレを選んだ事には変わりないんだ。
テメエにとってそれがただの一休みみたいなもんでも。
オレは自分の獲物を他のヤツにみすみすやるほどお人よしでも間抜けでもない。



選んだんだったら、その選択に責任を持たなくてはならないだろう。
それがどんな結末をもたらすかなんて選んだ時点でわかりやしない。
悪夢と悪魔、どっちがマシだったんだかなんてな。






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悪夢の内容はご先祖さまの話と関わってます。
時間的には護衛獣ED後。